INTRODUCTION
コロナ禍における
「社会の自明性の崩壊」を見通す
宮台真司の最新評論
宮台真司がリアルサウンド映画部にて連載中の「宮台真司の月刊映画時評」などに掲載した
映画評に大幅な加筆・再構成を行い、まったく新しい評論集として一冊の書籍に。
『寝ても覚めても』、『万引き家族』、『A GHOST STORY』、『呪怨・呪いの家』など、
2011年から2020年に公開・配信された作品を中心に取り上げながら、コロナ禍における「社会の自明性の崩壊」を見通す評論集。
さらに、『スパイの妻』黒沢清監督との対談、クリストファー・ノーラン監督の『TENET テネット』について、
ヒップホップミュージシャン・ダースレイダーと語った対談なども収録。
まえがきとして著された、30ページ超に及ぶ書き下ろしのアピチャッポン・ウィーラセタクン論も必見。
刊行を記念し、宮台真司とHip HopクルーDos Monosのトラックメイカー/ラッパーである荘子itのトークイベントが、リアルサウンド映画部のYouTubeチャンネルにて生配信が決定しました。
2021年5月29日19時スタート / アーカイブ公開中
YouTube配信URL:https://www.youtube.com/watch?v=83PBdporVb8
1997
メディアファクトリー
2002
朝日文庫
2009
幻冬舎新書
1995
筑摩書房
1994
講談社
1993
PARCO出版
1994
講談社
1999
朝日新聞社
1993
PARCO出版
and more...
USA
2020
『メメント』と同じく「存在論転回」の系譜上にある
JAPAN
2020
<閉ざされ>から<開かれ>へと向かう“黒沢流”の反復
USA
2017
『アンチクライスト』に繋がる<森>の映画
このくだりを書きつつ僕は涙を拭う。涙の理由を僕は知っている。感情がなければ世界は単に叙事的に美しいだけだ。なのに、なぜ喜怒哀楽の感情を以て社会に叙情的に向き合うのか。 そこには慚愧の念を伴いつつ敢えて「捨てることで選択する」営みが確実にある。世界の方が優れているのに、それを捨てて不完全な社会を選ぶという倒錯だ。
映画を含めたアートの目的は、19世紀の初期ロマン派によると「治らない傷」をつけること。娯楽=リ・クリエーションが、入浴してサッパリして仕事に戻るみたいに社会に戻らせるものだとすれば、アートは、本当はいつも社会を脅かしている世界を、寓意的に体験させることで、以前と同じようには社会を生きられなくさせます。謂わば「その瞬間」を刻み込むのです。 そうして傷を刻まれた存在として社会を生きることを強いる映画が、20年程前から目立つようになりました。だから僕は今世紀に入ってほどなく、それらを扱った映画評を連載し始めたのでした。連載は「オン・ザ・ブリッジ」と題され、副題は「社会から世界へ」でした。それが2冊の映画本になり、ここでの連載にも繋がりました。
世界はそもそもどうなっているか。だが世界はそもそも総ゆる全体だ。全体を示す芸術作品は世界に含まれる部分。部分が全体であるのは不可能。彼は次第に不可能性に打ちのめされる。そして彼のラストパフォーマンスは不可能の表現になる。だが否定神学(否定の積み重ねで肯定を暗に示す仕方)ではない。観客らはジーマの崩壊という紛れもない具体を通して、自分らは何も分かっていなかったという感覚の具体に打ちのめされて終わる。
1959年、宮城県生まれ。
社会学者/映画評論家。東京都立大学教授。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。
権力論、国家論、宗教論、性愛論、犯罪論、教育論、外交論、文化論などの分野で多くの著書を持ち、独自の映画評論でも注目を集める。近著に
『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』『正義から享楽へ-映画は近代の幻を暴く-』『社会という荒野を生きる。』など。